長女(小5)が学校で
「命の尊重」をお題にした道徳の授業のなかで使う材料として
親から子へ手紙を書かなければならなくなりました。
こういうときは普通、子供を身ごもってお腹を痛めた母親が書くのが一般的ですが
すこしというか、かなり作文嫌いなうちのお母さんは書き物系は
すぐにワタクシに振ります。
で、書いてみました。
この作文、全員ではありませんがみんなの前で読み上げることもあるって先生が言ってたそうで。
だったら誰に聞かれても読まれてもいいような内容で書いてあげようじゃないの!
って気持ちで便せん1枚ビッちり書いてみたのです。
桃花へ
平成11年6月15日、桃花は11時に生まれました。
同じ病院に白血病で入院していて、前日から危篤状態だった
おじいちゃん。
そのことを知る看護士さんは生まれたての桃花をすぐにカートに乗せ、
お父さんと看護士さんと桃花は向かいの病棟のおじいちゃんの病室に
向かいました。
おばあちゃんやお母さんの兄弟たちがおじいちゃんを見守る病室。
もはや意識がはっきりしなくなっていたおじいちゃんですが
生まれたての桃花をおじいちゃんの目の前に抱き上げると
「うんうん」
とうなずき、また目を閉じました。
その数時間後、19時に息を引き取りました。59歳でした。
同じ日に同じ病院で桃花が生まれておじいちゃんが死にました。
ですからおじいちゃんのお通夜・お葬式のときにはみんなが
「この子はおじいちゃんの生まれ代わりだね」
と口々に言っていました。
あとでわかったのですが、入院中におじいちゃんは日記をつけていました。
>もうすぐるみ子の子が生まれる。その日まではとにかくがんばろう。
そう記してありました。
おじいちゃんは自分の命を桃花にリレーして、バトンタッチしてあの世に旅立ったのだと思います。
「命」 「生きる」 っていうことは 「生まれてから死ぬまで」 を意識することじゃないかと思います。
とても大きなテーマでとても大事でとっても難しいです。
ただ思うのは何より悲しいこと・いやなことはこの世から桃花がいなくなることです。
自分が死んでしまうよりも何百倍も悲しいことです。
だから自分を大事に生きてください。
お父さんはこれから、君が進学して身長も大きくなって、女の人になって
誰かに恋をしてたり失恋したりしながら成長していく姿をちゃんと見守って
行かないといけないので、まだまだ死ねません。
ってか死にませんので、これからもよろしくお願いします。
お父さんよりんー。どう?
マジで実話なのよね。実に気丈なオヤジさんでした。
闘病日誌的な日記、ワタクシも見たんですけど日を追うごとに字が字でなくなっていくんですね。
それがまた書いてある内容が涙なしには語れないものでした・・・。
いかに毎日の何でもない日常が幸せであるかということ
元気に働ける日々のありがたさ
一緒にいた家族、妻への感謝の気持ち
自分が早く逝ってしまうことで、してあげられなかったことが沢山ある悔しさ
など、切々と記してありました。
ひさびさに思い出したな。
オチなし
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